インフラにスピードを、仕事に面白さを。
2025年7月9日
目次
1.フリーランスで創業、システム開発業の元請になるまで
私は大学2年生の時から、フリーランスで色々なスタートアップ企業のソフトウェア開発を手伝うという仕事をしていました。大学3年のある日、2~5次など下層の下請けはつらいという事で、当時勤めていた学生ベンチャーで公共事業部という官公庁の仕事を獲得する部署を立ち上げることになり、私は一人、部下のいない事業部長という事で札幌市の仕事を受注していました。
システム業界は、建設業と非常によく似た多重請負構造で成り立っています。建設業と違って現場・現物というものがありませんから、あまりにカスケードが多段すぎて伝言ゲームが始まります。そうすると納品物が顧客の当初想定からズレます。「これはどう考えてもAという意図だと思うのだが、偉い人がBだと言うからとりあえずBで行こう」ということが起きます。本当はちゃんと国語力あるプログラマが自分で営業し、お客さんと直接対話して作った方が安くて良いものが出来るに決まっています。とりあえずそんな思いだけで多重請負をしている企業連合や大会社が入札している官公庁の案件へ、プログラマ集団の私たちが元請として入札しました。そうしたら神様は見ているもので、ちゃんと数回に一回仕事が取れます。病院や図書館、市場などの仕事が多かったので本庁舎と比べて大らかな方が多く、最初はお手並み拝見とばかりに傍観していた人たちも、調達価格が下がって品質は上がったという事で、面白がって色々なこと(役所の仕事や入札のこと、日常業務、異動前の仕事のことなど)を教えてくれました。
そのうちその学生ベンチャーは新しいビジネスをするので、システム事業が畳まれることになりました。私は公共事業部を引継ぎ、Q Enterprise Systems株式会社という名称で独立しました。今も元の会社の役員さんとは時々一緒にバーベキューをするほど仲良くしているので円満退職という事になります。ちなみに、Qというのは、QuantumのQです。その当時、自分は工学部の応用物理学コースの学生だったからです。数年後には、通信の方がよく売れるし何の会社か分かりやすいということで、早くも日本先進通信株式会社へと名称変更する事になりますが。
やがて実績を積み、大きい案件が視野に入ってきたので、自分の通っていた北海道大学の仕事も入札で落とし始めるようになりました。そうこうしているうちに、紹介で仕事を頂けるほどには何とか信用も付いてきましたので、自分の大学で働くという状態を達成できるようになりました。ここまで2年かかりました。
2.次のビジネスを探して試行錯誤
こうして一点突破で、年間売上5万円で始まったフリーランスの取り組みが、やっとビジネスらしいものになってきました。ですが、「安い」という強みには限界がある事も同時に感じていました。プログラマのビジネスは、そもそも極めて属人性が高いので自社製品が無いとスケールしません。「超人(個人)事業主」から「会社」への変容を遂げるため、早急に次のビジネスモデルを探すことは必須でした。
「次のビジネスモデルを探す」で薄々お察しかもしれませんが、そこが案の定地獄の始まりでした(しかし、時に人生では不確実な状況で突撃しなければいけない時があるのです!)。モーターを1秒に50回回せば電気が作れるということで、電気を自作しようとしてみたり、レーザーを真空管から自作してみたり、サーバを自作してみたり、果てにはロボット技術を探求してみたりしました。電気工事士の資格も、大型特殊免許も取りました。ここで得た知見は後に仮想基盤事業を立ち上げる時に奇跡的に全部役に立ったのですが、出来れば二度と同じ回り道は避けられればと思っています。ノウハウのない新規事業はすごく大変だという事が分かりました。
こうして1年くらい試行錯誤していたら、知人とたまたま一緒に行ったバーで隣に座った方との出会いが転機になりました。話を聞くと「新しくスタートアップを応援する施設をこれから作るのだが、大手の通信事業者が高い割には品質が微妙で、ネットワーク構築出来る人を探している」との事でした。そういえば2年前にふとした雑談がきっかけで、飲食店のネットワーク構築をしたことを思い出したのです。初めてのインフラの仕事で何も分からず、夕方19時に始め、絶望に暮れながら46時(翌日22時)まで働いて納品へ漕ぎつけた記憶が頭をよぎったのです。「あの時の仕事はこれのために有ったのかも分からんが、とりあえず1件だけでも実績があるぼくの出番なのでは?」と思い、とりあえず突撃してみる事にしました。
3.通信という宝の山を掘り始めよう
これまで官公庁の営業しかしたことがないので、商談というものがよく分かりませんでした。発注書の作り方も分からない、ビジネスが分からない、戦略もない、営業方法が分からない。そもそも商談をしても、AOKIの1万円のペラペラのスーツで突撃していたので、覇気ゼロのぺーぺーの若者が一人で来るわけです。そして営業のことなんか何も分からないので、これから作りたいネット環境の話を延々し続けるわけです。ぼくには1件の実績と無謀さだけがありました。
しかしですね、無いものは無いんです。どうしようもないので、ひたすらお客さんを口説きました。競合のソフトバンクやリコーは何人もの営業マンが入れ替わり立ち代わり、分厚い資料を携えて商談に来ていました。対するぼくは1人で、提案資料の作り方が分からなかったので、手書きで3枚適当なポンチ絵を描いて提案をしました。字が汚すぎて読めないので、見かねた先方の担当者さんがわざわざ営業資料を代わりに作ってくれる始末でした。最後はぼくと、その2社のコンペでした。ぼくたちはソフトバンクの半分の値段で速度は10倍という、先鋭的な提案をしました。しかし、役員会議は「こんな奴らに仕事を任せて大丈夫なのか?」という反対派と、「面白いからやらせてみよう」という賛成派が半分ずつでした。そこで、ぼくは相手方の担当者にお願いして何度も打合せに通い、最後には「スタートアップを応援するコンセプトの施設なのだから、どうかスタートアップに仕事のチャンスをください!」と言ったら担当者さんも「役員会でその通り伝えてみたら、ぐうの音も出ないみたいでしたよ」と言ってくれて、担当者さんと一緒に、何とか先方の役員さんを口説いてしまいました。
こうして何とかネットワーク構築の案件を受注しました。後から思えばここまでがチュートリアルでした。ここから地面を這いつくばるような修行が始まりました。ぼくは工事のやり方を何一つ知りませんでした。工事現場は真夏で、ビルの最上階でした。そもそも現場は8割くらい完成してるのだと思っていました。初日の打合せは半袖短パン、ヘルメットなしで行きましたところ、コンクリートの床と壁しかなく、柱すらありません。そして現場監督さんがブチギレていました。「工事現場にヘルメット無しで来るとはどういうことか!」。仕方がないので近くのDCMホーマックでヘルメットを買ってきたら、今度は「松浦くんねえ、工事現場は長袖ってのが常識なんだよ!」と言われました。知らなかったので、翌日から真夏なのにフリースで行きました。当時は空調服などという画期的なアイテムを知らなかったので、毎日とても暑かったことを覚えています。
LANケーブルを最終的に700メートルも引きました。ただLANケーブルを引けばいいだけだと思っていたので、自動車のレンタル料金を見積り金額に入れていませんでした。台車という便利な道具を使うことは工事が終わるまで思いつきませんでした。仕方がないので、ママチャリのかごに両手で抱える大きさで15kgあるLANケーブルのリールを載せて、後ろの荷台に工事資材を30kg積んで現場⇔大学の往復生活をしました。あまりに気合いが入り過ぎて最高時速40キロも出していたので自転車の豆電球が焦げて点かなくなってしまいました。
ぼくは大学1年生の時に、札幌で新聞配達を1年365日やりました。雨の日も雪の日も、路面が凍っている日も、道路に雪が1メートル積もった日も毎朝3時に起きて、6時までママチャリで新聞を配りました。1年間で3日ほど寝過ごしましたが、それ以外は皆勤賞でした。途中で立ったまま眠ってしまった日もありましたがとりあえずやり続けました。そうしたら、会社で一番厳しかった店長さんが、最後の日に「君は新聞配達を1年も続けたんだから、何でもできる。つらいときはこの1年を思い出すんだ」と言ってくれたのを思い出しました。周りはみんなホンダのバイクで配っていました。でも、ママチャリしか使えない環境でもやれば必ず出来ます。人の2倍か3倍やれば必ずバイクと同じだけ配れるんです。工事だって同じ人間がやる以上、ママチャリと自動車くらいは誤差です。
毎日が勉強と改善の連続でした。現場監督には「松浦くん、不安全行動はやめなさい!」と言われ、電気屋さんに図面の事がよく分からないので「これ何の記号ですか?」と聞いてたら「何度言えば分かるんだ!初心者なのか?」とキレられてその日の夜に電気工事図を勉強し、LANケーブルを壁の開口から出したまま放置していたらボード屋さんに「遊びに来てるんじゃねえんだぞ!」と怒鳴られては現場のルールを調べ、あくる日もあくる日もLANケーブルを引き続けました。高専出身の友達やシステム開発会社の知人にも手伝ってもらいました。石膏ボードにコンセントの穴を開ける方法が分からないので、とりあえず百均のカッターでギコギコしていたら電気屋さんに「アホだろおまえ。こうやって開けるんだよ!」と幸運にも教えてもらうことができました。LANケーブルを全部リールから出したらグルグルに絡まってしまい、電気屋さんに「こりゃ大変だなー」と笑われましたが、すかさず現場監督に「普通はさぁ、ケーブルは箱で持ってくるんだよ。仕事っていうのは段取り8分なんだからさぁ。そこはソフトバンクの方が全然上だな」と小言ついでに教えてもらうことが出来ました。ぼくの周りに工事関係の知り合いはいないし、建築学科の人もみんな座学に詳しいだけで何も出来やしません。でも言い訳するのはカッコ悪いし、受けてしまった以上はやるしかないので、毎日帰ってからネットで調べたり、YouTubeの動画を見たりして勉強しました。
工事の途中、知人の知人が「サーバラックをくれる」というので、ニコニコレンタカーでハイエースをレンタルして、札幌ファクトリーにあるインフィニットループという会社さんに学生の友達と大挙して押しかけてサーバラックをもらいに行きました。サーバラックは2個もらったので、片方は工事現場へ、片方は持ち帰ってきてマンションのドアを外し、自分の部屋に無理やり入れてしまいました。工事現場に設置したサーバラックは、耐震のためにコンクリートアンカーというものを用いて床に固定します。ビルオーナーであるJR北海道さんが「現場の下が飲食店なので、深夜に工事をするように」と言っていたので、深夜4時、1人でYouTubeで手本動画を見ながら、Amazonで買った振動ドリルでコンクリートを斫っていました。なんだかんだ小言を言いながらも色々教えてくれる現場監督に「アンカーの埋設は床下45。45ミリまでだからね」と言われたので、言われた通り少し短い35ミリのアンカーを用意しました。発注元の会社の担当者さんも気合いの入った人で、「発注したからには付き合います!」という事で、夜が更けるまで会議室の長机とイスで半分寝ながら立ち会ってくれました。
こうして、いつの間にか工事が終わり、季節は秋になりました。やっと引渡しです。引き渡してお客さんが入居した翌日に呼ばれました。「不具合が発生したから直せ」とのことでした。AndroidだけWi-Fiに繋がらない不具合でしたが、300個くらいある機能を一日中、全部オン⇔オフして試していたら、YAMAHAのアクセスポイントの「管理フレーム保護」という機能が原因だということが分かって直ってしまいました。
一生懸命分析して、考え尽くし、「やるぞ」と決めたら理論など無駄というのがぼくの持論です。勢いで押し切る他に良い方法が無かったので、無理やりねじ込んでゴリ押しして通信事業を立ち上げてしまいました。この通信というのが、とにかく全然儲からないのですが、あまりこういう事業をやっている会社が無いので、大変優秀な学生さんが手伝いに来てくれるのです。これはいい宝箱を見つけたぞ、と思いました。
4.官僚主義をぶっ壊せ
ぼくは通信に強い思い入れがあります。ぼくは中学生の時からゲームが大好きでした。実家のWi-Fiはよく途切れるのでゲームが出来なくなって良く困りました。大学の講義室で不真面目な動画を見ようとしたら構内網にフィルタがかかっていて見られず、先生が出席を取る授業では学生が多いのでまともにネットサーフィンも出来やしないという個人的不満がありました。不自由な環境を突破するために色々試していたところ、情報系の教授が面白がって何でも教えてくれたのでぼくは大学に入って良かったと思いました(施設や総務畑の事務は頭の固い官僚集団で、すぐに人を呼びつけては説教し、何でも禁止してきます!)。
ぼくは公立小学校のように、何かを試してみようと創意工夫している人を邪魔する環境が大嫌いです。「やってみたい」「面白そう」「ワクワクする」こういう好奇心を潰そうとしたり、意味もなく自由を制限したりする人とは断固として戦います。もちろん官僚主義の良いところ(公平性、専門性、効率性)には学ぶべきところがあります。しかし、官僚主義の悪いところ(セクショナリズム、必要以上のリスク回避、意味のない仕事)は、我々の敵です。悪いところは自分たちの手で変えていかなければなりません。
インターネットの世界では「ベストエフォート」という考え方があります。すなわち「繋がっても繋がらなくてもいい」という事なのだそうですが(通信大手S社のナントカAirの担当者が電話で言っていたので業界の共通認識と思われます)、そんないい加減な認識で事業を運営しているのは通信業界だけです。ギガビットの1回線を32人で割っているならば、「理論値では最小30 Mbps以上・最大1 Gbps以下。設備が壊れた時は止まります」と正直に書けばいいじゃないですか。それが技術者的発想というものです。しかし、残念ながら文系の官僚主導の我が国の通信業界は、理系的な発想を欠いていますから、珍しくエンジニアが社長をしているぼくたちが技術的提言をしなくてはなりません。こないだも霞が関へ電話しまして、「光ファイバで通信する時代に、固定端末系伝送路設備とは物理的には何を指すのか」と聞いてみたところ、役人さんが1時間くらいウンウン考えた結果、答えに詰まってしまいましたから、とうとう仕方がないので「仮想的なものも含めてメタル回線における電話機・電話線に対応するものを固定端末系伝送路設備と読み替えることにしませんかね」などと適当な解釈を述べましたら、それがそのまま採用される事になりました。ぼくは通信業界を不便を自分で直せる自由な良い業界だと捉えることにしました。
夜中にインターネットが繋がらなくて電話を掛けてみたら「お電話ありがとうございます。当社の営業時間は平日午前8時~18時です。時間内にお掛け直しください。」と言われたことはありませんか。ぼくは何度もあります。夜は昼の2倍の時間があるわけで、お客さんは夜に昼の2倍困っているわけです。インターネットの不調が気になるのは平日より、むしろ家でゴロゴロしている休祝日とかなんじゃないでしょうか。36協定や労働法などの外形的な労働者保護の基準や、社会の常識は大事ですが、とりあえず緊急の電話には出てほしい人が多いんじゃないかと思います。同じ官営事業なのに、NEXCO東日本はちゃんと深夜3時に電話しても出てくれます。電話線だって48ボルトも流れているので、夜中に切れて垂れ下がってたら道路同様に危険じゃないですか。なのに夜中には絶対電話を取らない、開通工事はいつまでも待たせておけばいい、インターネットなんか繋がらなくてもいいんだという業界の慣習は不思議だなあ、と思います。
電信電話・逓信というのは明治時代から国家の独占事業なので、大多数に合わせて廉価なサービスだけを目指すという方向は仕方ないと思うのです。でもぼくたち若者は年寄りの感覚で延々と待たされるのは困ってしまいますし、今の時代の若い人はもっとワクワクするビジョンを求めている気がします。同じ1日でもNTT東日本にとっては10秒の感覚くらいかもしれませんが、ぼくたちは10年くらい待たされている気分ですし、サービス内容もイマイチ夢がありません。ぼくが変わり者なのかと思っていましたが、当社の売上は毎年伸びているので、ぼくたちのお客さんは少なくとも同じことを思っているらしいと考えて概ね差し支えないと思います。申し込みの電話はすぐ取るのに、ネットが繋がらない時には絶対電話に出ない。ここはそういう業界です。晴れたら傘を差し、雨が降ったら取り上げる、強い奴がそうやって弱いものいじめをする業界は今のままでは息苦しいと思います。資本主義や官僚主義的な大企業文化は理屈としては分かるのですが、そこに優しさや思いやり、助け合いといった人間の心はありません。ぼくたちは少数派かもしれないですが、優しさと思いやりを持ったチーム、そして守りたいものを守れる力の双方を手に入れたいと思っています。
通信業界には「開通工事に時間がかかって当たり前」という常識もあります。ぼくも長年それが当たり前だと思っていました。でも業界の構造を観察するうちに「それって事実と異なるんじゃないか?」と思うようになりました。ぼくたちが500円で出来る工事(LANケーブルを数メートル配線するだけです!)を、「施設管理権」を論拠にNTT東日本が20万円で無理矢理受注しているのを見たからです。でも現場の作業員に聞いたら、彼らの報酬は1万円にもなっていませんでした。確かに労使の立場の違いはありますが、それ以上に(特に官僚主導の)通信業界は伝統的に通信建設業界と強いつながりがあり、ここに凄まじい多層下請構造が出来ているという構造は指摘しなければなりません。ぼくもシステム業界に居た時は「業界内で人手が足りないからフリーランス的に会社同士で人を融通する仕組みが必要」という説明を見て「なるほどー」と思っていましたが、実態は逆かもしれません。1次や2次はまだしも、いくら何でも4次や5次請けまで下請会社を作るのは情報通信・建設業界の古くて悪い方の文化です。
理屈の上では開通工事のすべてを自分でやればインターネットは直ちに開通します。よって、自前でインターネットをしてみる事にしました。調べてみると、総務省の所管する電気通信事業法という法律がある事が分かります(色々と不思議な法律ではあるのですが、この話はまた別の機会)。自前でインターネット網を構築するためには、自前で光ファイバを敷設する(または他社から借りる)必要があります。そのために、北海道の総合通信局(総務省の手下のところ)に資格を取る申請に行きました。そして、長いヒアリングが始まりました。
・どうして電気通信事業の届出をするんですか?
インターネットをやりたいからです!
・家にインターネットを引きたいならネットで申し込めばいいじゃないですか。
ぼく自分でインターネットをやりたいんです!
・そのケースは珍しいので、申請には時間がかかります。
前例が無いから大変なのは分かりますが、仮にも申請に10年とか100年とかかかるって事でしょうか?
・何年かかるかは分かりませんが時間がかかります。
他社も平等に10年くらいかけているんですか?・・・
こんな調子です。そのうち様式をきっちり揃えて持って行って10回以上も指摘箇所を直したのに「まだ確認する事がある」「図が分かりづらい」などと役人が抜かしてくるので、「AS番号を取ってインターネットを自分でやるだけの簡単な話じゃないか。何が難しいのか。役人の高尚な考えは全く理解できない。もう1年も経ったのに届出すら受理できないのか!」と、とうとうこちらも堪忍袋の緒が切れてしまいました。それで「これ以上不作為を続けるなら、行政手続法に則ってしかるべき手続をするぞ!我々の申請を受理されたい。そもそも届出とは届け出るだけであって許認可とは全く違うものじゃないか!」と毎日朝夜、役所に電話して説き続けていたら、なんとそれから1週間で届出が受理されました。「これまでの1年間は何だったんだ」と思いました。
その後は公道を占有するために必要な資格を取りました。実際には総務省の、霞ヶ関の本省がほとんど全て決めているらしいのですが、窓口は北海道の通信局でした。「北海道地区では文献が残る範囲では前例がない。ちょっと待ってほしい。」などと言われましたが、ぼくたちは「やると決めたら何が何でもやる。必ずやる、出来るまでやる。」という事でかえって結束してしまいました。ちっとも待ちません。霞ヶ関に毎日電話して法律を確認し、総務省のホームページを隅から隅まで読んで、ネット上の情報を片っ端からチェックし、電気通信事業以外に関連する法律も全部調べ上げ、とにかく様式を全部記入して提出してしまいました。それから嫌がらせをしないで手続を進めてもらうように、役所に毎日欠かさずに電話をかけて進捗を聞いてみる事にしました。「標準処理期間を教えて欲しい。申請受理にはあと何年かかるのか。10年なのか100年なのか1000年なのか、それだけでもはっきりされたい。100年も経ったら苔も生してしまうぞ!」と言ってみたところ、「さすがに10年はかからないと思いますね」と言ってもらえました。しかし、このままでは1週間で終わるかも、9年かかるかも分かりません。それでは予定が立たなくて困りますので、雨の日も晴れの日も1ヶ月くらい、毎日欠かさずに進捗を聞いていたら、随分としつこい奴だと思ったのか、とうとう通信局の担当者が根負けして「今のペースだと1年くらいかかる見込みです」とやっと期間の見込を教えてくれました。また、通信品質がどうこうとも言われたので、「いやいや競合他社のping値はこんなもんです。ここにデータがあります!実際のダウンタイムってこれくらいじゃないですか。具体的な根拠は○○で、△△の資料を見たらこうですよね。だから一緒に(本省の)霞ヶ関のルールを見直すよう協力してください」という事でたくさんのデータを持って行き、役人さんをやり込めて法解釈まで変えてしまいました。そうこうして1年くらい放置して待っていたら認定電気通信事業者になりました。北海道地区ではこの制度が出来てから40年、1件も前例が無かったらしいです。
その後は北海道電力へ行って「電柱を貸してください」などと言ったところ、怪しい若者が来たと思われたらしく、通信局へ事業者照会が入っていた事が判明しました。ようやく疑惑が晴れて、やっと電柱を貸してくれるのかと思ったら、今度は課長から何からぞろぞろと出てきて「安全対策は大丈夫なのか」「施工経験はあるのか」などと聞かれました。「ぼくは会社の役員だから別に高所作業の資格は法的には無くても良いんじゃないですか?」などと生意気にも申し上げていたところ、「普通に危ないから安全講習は受講しなさい」ということで、付き合いのある業者さんから何から色々教えてくれたので、とりあえず言われた通りに講習を受け、山のような書類を記入し、何回も電力会社や通信会社へ赴いて拝み倒してようやく電柱が借りられることになりました。基幹ルータや融着接続器のマニュアルの入手にも大変な苦労をしましたが、これも何とか手配してやっと自分でインターネットへの道を切り開く事が出来ました。
後日談ですが、通信局の担当者さんが異動する事になり、わざわざ電話でご挨拶を頂きました。後から聞いた話ですが「あの日本先進通信株式会社がついに認定まで取りましたか」と、異動後も大変気にかけて頂いていたようでした。色んな役人さんを見てきましたが、我々のように小さい会社へ、1円の利益にもならないのに、ご異動の時にわざわざ個別で挨拶をしてくれる役人さんは後にも先にも1人も居なかったですから、ぼくたちは大変人に恵まれてきたと言えるでしょう(または、相当印象に残ったのかもしれません)。仕事の面ではちょっとあれでしたが、役人でも人としては素晴らしい方がいるものだと初めて役所の仕事で感心してしまい、自分の中での無機質な役所のイメージがまるきり変わってしまいました。
そんな事をしていたら「あいつアホだけど面白いぞ」という事でいつの間にか学生集団が2人になって5人に増えて10人になって、気付いたらそれなりの企業との取引させて頂けるようになりました。「アホだけど、キミ面白いから応援してあげよう」みたいな感じで仕事をくれる人ともたくさん巡り合いました。そして、やっと会社らしきものの形が見えてきました。ここまで3年くらいかかりました。営業も知らない、経営も事務も分からない、人脈もない、金も資産も経験も、パソコンの事以外何も無いところから、やっと何とか起業のスタートラインに必要なスキルが揃ってきたような気がします。
5.インフラにスピードを、仕事に面白さを。
ぼくたちは変わり者かもしれません。「自分たちの好きな仕事を好きなように」「問題を必ず解決しよう」という哲学、絶対に無理だと確定しない限りは解決策を全部試し(総当たりは数学だと嫌われますが)、理屈が通じる限りは法解釈を変えてでも、ゴリ押してでも解決策を実行し切る実行力、そして気になった事はどこまでも追求する探究心と好奇心があります。めちゃくちゃ調べるし、すごく考え、バリバリ働く社風です。ゴリ押しするけど、相手にも合わせます(逆に、嫌がらせをしてくる人は当然自分も嫌がらせをされる覚悟があるのです!)。お客さんに合わせて柔軟に、労働法に手足を縛られた企業を横目に24時間安定稼働を目指し(法律遵守には努めています)、目的を達するために下請け会社をあえて作らず、多重の下請け仕事を請けません。
私たちには石をも穿つがごとき信念があります。それは困ったこと、イヤなことを技術・言葉・数字の力と気合いで変え、お客様のビジネスにスピードと便利さをもたらし、私たちの生活、そして我が国を豊かにして、面白い挑戦をしようということです。具体的にやっていることは「今のやり方より良いシステムを作れる」ということだったり、「繋がらない不便を解消しよう」「次世代に残せない様な理不尽な法令は変えてしまおう」という事だったり、「自分たちなりに面白いオンリーワンの仕事を作ろうよ」という目標実現だったりします。
最近、「ビジョンとかあるんですか?」と言われたので、信念を貫き通した先には科学技術の力で、23世紀をつくる未来があるんだという話をしました。私たちには少数派であるからこそ出来ることがあると思うのです。私たちは大手企業では批判されてしまうような大きな夢を描いて発表することができます(ライバル会社が「ドラえもんの世界を創るんだ!」なんて計画を発表したら大顰蹙間違いなし!)。私たちは官僚機構には実現出来ないおもしろプロジェクトを実行できます(なんせ社長が「モーターを1秒に50回回したら電気出来るだろ」とか言って本当にやってしまった会社です)。「あの会社、何やってるかよく分からないんだよね」とよく言われますが、それは何でも挑戦できるという事の裏返しですから、大学発の会社らしいし、大いに自由で結構だと思うのです。
技術者・若者にはワクワクする夢が必要です。今の時代にはワクワクする夢を描ける人が足りません。「年寄りが生きていくには金が必要、若者が生きていくには夢が必要」という格言は当にその通りです。今の社会は前者ばかりを過剰に重視して、後者の面白さやワクワクを全く軽視しています。失敗を全く許容しない官僚人間が増え、好奇心を際限なく抑圧する息苦しい世の中になってしまいました。減点や失敗を次の成功への糧とする「手段」ではなく、処分や罰こそ主たる目的と勘違いした、つまらない官僚主義がまかり通っています。私は電気や電気通信、情報分野をはじめ、この仕事が好きでたまらない人たちとぜひ一緒に働いていきたいです。(「土地を収用して局舎を立てて、自分で電柱を建てて光回線も引っ張って800G通信するんだ!」にワクワクする人や、器用な人はまさにこのチームに向いています!)。仕事の話で目がキラキラする大人と一緒に働きたいのです(もちろん私たちもそう憧れられる集団になりたいと思っています)。
23世紀はきっと、ロボットが家事をやってくれるはずです。風呂も入らなくていい、洗濯もしなくていい、家に居ながらして働ける、いつでもおいしいご飯が食べられる世界になります。除雪もAIが自動操縦する車がやってくれるのです。それを実現するためには、情報・通信技術が必要です。強靭な陸空海路が必要です。そして何よりも重要なものは、優秀な人材であります。優秀な人材を惹き付けるのは、面白い仕事と高い報酬、自由で独立した環境です。他社にはない仕事、やりたいことを出来る環境こそが大事なのです。頭脳が明晰で、実行力のある人材は統計的に見ると大学卒に多いです。私たちは大学の良いところと、会社の良いところを持ったコンピュータ付ブルドーザーの様な集団を目指しています。そして、私たちは他の大学発ベンチャーの会社と違い、特別な技術を持って独立したわけではありませんから、他社で出来ない仕事を自分で創り、オンリーワンの生き方、面白い仕事、魅力ある人間を創る適度に緩い組織でありたいと思っています。
最近、世間では「SDGs」「LGBT」「ベンチャー」などのバズワードが大変もてはやされています。無農薬と手作業を礼賛して旧石器時代の農業に立ち返り、女性(または男性)だけを優遇し、美辞麗句を並べて取った補助金で大企業のサービスを使い、「ベンチャー支援」を口実に随意契約を用いて零細企業を締め出し、スーパーゼネコンと組んで大型建築物を竣工させることが時代の最先端なのだそうです。しかし、私たちの考えるところの真の持続可能性とは、輸入炭や石油を用いた安価な電力を用い、運搬コストのかからない普通紙を使い、適切に日持ちのするそこそこ安くておいしいごはんを食べ、中古のガソリン車を使う、そのうえで新しい挑戦をする人を否定しないことです。機会均等とは、何かに挑戦したい人を否定せず、とりあえずやらせてみる、やってみるということだと思います。本当の産業振興は、民間の競争において安くて良い物を目指し、公共事業においてちょっとだけ新しい挑戦を一緒に始めてみるという事だと思います。夢を描くことと、いま出来ることを地道にコツコツやってみることは同じくらい大事なことです。
カタログをメールで送るのにパスワードを掛ける「DX」、電話で30桁の数字を1つずつ音読させ、皆が「AIチャットボット」を手放しに礼賛する「AI」の時代は確かに素晴らしいかもしれません。しかし、ここで行き過ぎた「ワークライフバランス」の推進などには重大な欠陥があります。それは、もっと働きたい人の視点が欠けているということです。若い人があえてもっと働き、頑張ってもっと豊かになりたいという夢と希望を持って正しい方向性で一生懸命働いてはいけないのでしょうか。一方で、年寄りはあまり働かずに金と知恵をもっと出していくという伝統的な価値観は間違っているのでしょうか。他人の意思を尊重せずに無理やり働かせることは無論良くないですが、もっと働いてもっと豊かになりたい人たちの足を引っ張ることも同じくらいダメだと思います。そして私たちはゆるふわ大企業よりも、しっかり働いてしっかり成果を出す、そしてその分ちゃんと報われるという事で当分はやって行きたいと思っています。
私は世界地理が苦手です。中央省庁や大企業の社員さんに比べたらコネもカネもありません。社会からの期待度も低いかもしれません。しかし、私たちには夢と未来を描く力があります。今は名もなき小さい会社ですが、近い将来に信頼と実績のある大きいチームになりますから知名度についてとやかく心配はしません。私たちは、「キミ面白いね」で、何とかここまで可愛がってもらってやって参りました。長い物に巻かれない姿勢は大人から見ると愚かに映るかもしれません。が、あえて「なんかアホだけど、面白い奴が来たから応援してあげよう」という事でどうか今後ともご支援頂ければ幸いです。
日本先進通信株式会社
代表取締役 松浦求磨


