インフラにスピードを、仕事に面白さを。
2025年7月9日
目次
1.フリーランスで創業し、システム開発業の元請へ
私は大学2年生の時から、フリーランスで色々なスタートアップ企業のプログラム開発を手伝うという仕事をしていました。大学3年のある日、2~5次など下層の下請けはつらいという事で、当時勤めていた学生ベンチャーで公共事業部という官公庁の仕事を獲得する部署を立ち上げることになり、私は一人、部下のいない事業部長という事で札幌市の仕事を受注していました。
システム業界では、この業界が建設業と非常に似た多重請負構造で成り立っている事がその当時からよく知られていました。そこで、私はこの多重請負構造の弱点(プログラマがいないと案件が消化できないこと)を突きました。多重請負をしている企業連合や大会社が入札している官公庁の案件に対して、最下層のプログラマである自分たちが直接元請として入札してみたのです。すると、面白いように案件が取れます。外局の仕事が多かったからか、担当者さんにも非常に大らかな方が多く、最初はお手並み拝見とばかりに傍観していた市の職員さんたちも、私たちが案件を横取りして値段が下がり、品質も上がったという事で、面白がって色々なこと(市役所の仕事とか、入札のこと、図書館の業務など)を教えてくれました。
そのうちその学生ベンチャーは新しいビジネスをするので、システム事業が畳まれることになりました。私は公共事業部を引継ぎ、Q Enterprise Systems株式会社という名称で独立しました。今も元の会社の役員さんとは時々一緒にバーベキューをするほど仲良くしているので円満退職という事になります。ちなみに、Qというのは、QuantumのQです。その当時、自分は工学部の応用物理学コースの学生だったからです。数年後には、通信の方がよく売れるし何の会社か分かりやすいということで、早くも日本先進通信株式会社へと名称変更する事になりますが。
やがて、大きい案件を狙うのだという事で、自分の通っていた北海道大学の仕事を入札で落とし始めるようになりました。そうこうしているうちに、紹介で仕事を頂けるほどには何とか信用も付いてきましたので、念願の自分の大学から一歩も出ずに働くという状態を達成できるようになってきました。ここまで2年かかりました。
2.次のビジネスを探そう
こうして一点突破で、年間売上8万円で始まったフリーランスの取り組みも、何とかビジネスらしいものになってきました。ですが、「安い」という強みには限界がある事も同時に感じていました。プログラマのビジネスは、そもそも極めて属人性が高いので自社製品が無いとスケールしない課題があります。よって、「超人(個人)事業主」から「会社」へ変革する必要があり、早急に次のビジネスモデルを探す必要がありました。
「次のビジネスモデルを探す」で薄々お察しかもしれませんが、そこからが案の定地獄の始まりでした(しかし、時に人生では不確実な状況で突撃しなければいけない時があるのです!)。モーターを1秒に50回回せば電気が作れるということで、電気を自作しようとしてみたり、レーザーを真空管から自作してみたり、サーバを自作してみたり、果てにはロボット技術を探求してみたりしました。電気工事士の資格も、大型特殊免許も取りました。ここで得た知見は後に仮想基盤事業をする時に奇跡的に役立ったのですが、出来れば二度と同じ回り道は避けられればと思っています。やっぱりノウハウのない新規事業は大変なのです。
こうして1年くらい試行錯誤していたら、知人とたまたま一緒に行ったバーで隣に座った方との出会いが転機になりました。話を聞くと「新しくスタートアップを応援する施設をこれから作るのだが、大手の通信事業者が高い割には品質が微妙で、ネットワーク構築出来る人を探している」との事でした。そういえば飲食店でネットワーク構築をした経験があったのを思い出したのです。「我々の出番なのでは?」と思い込み、突撃してみました。
3.通信業を始めよう
これまで官公庁の営業しかしたことがないので、商談というものがよく分かりませんでした。発注書の作り方も分からない、ビジネスが分からない、戦略もない、営業方法が分からない。そもそも商談をしても、AOKIの1万円のペラペラのスーツで突撃していたので、覇気もゼロだったと思います。
他にどうしようもないので、ひたすらお客さんを口説きました。分厚い資料を携えたソフトバンクやリコーと、提案資料3枚(しかも手書き)の私の3人のコンペになりました。私たちはソフトバンクの半分の値段で速度は10倍という提案をしました。しかし、役員会議は「こんな奴らに仕事を任せて大丈夫なのか?」という反対派と、「面白いからやらせてみよう」という賛成派に分かれました。そこで、何度も打合せに通い、「スタートアップを応援する施設なのだから、どうかスタートアップに仕事のチャンスをください!」と言って、担当者さんと一緒に役員さんを説得しました。
こうして何とかネットワーク構築の案件を受注しましたが、ぼくは工事のやり方を何一つ知りませんでした。工事現場は真夏で、ビルの最上階でした。初日の打合せは半袖短パン、ヘルメットなしで行きましたところ、現場監督さんがブチギレていました。「工事現場にヘルメット無しで来るとはどういうことか!」。仕方がないので近くのDCMホーマックでヘルメットを買ってきたら、今度は「松浦くんねえ、工事現場は長袖ってのが常識なんだよ!」と言われました。知らなかったので、翌日から真夏なのにフリースで行きました。暑かったです。
LANケーブルの総敷設距離は700メートルでした。LANケーブルを引けばいいだけだと思っていたので、自動車のレンタル料金を見積り金額に入れ忘れていました。台車という便利な道具を使うことは工事が終わるまで思いつきませんでした。仕方がないので、ママチャリのかごに両手で抱えるくらい大きい15kgくらいのLANケーブルのリールを載せて、後ろの荷台に30kgの工事資材を積んで現場⇔大学の往復生活をして凌いでいました。あまりに気合いが入り過ぎて最高時速40キロも出していたので自転車の豆電球が焦げて点かなくなってしまいました。
ぼくは大学1年生の時に、札幌で新聞配達を1年間毎日していました。雨の日も雪の日も、路面が凍っている日も、道路に雪が1メートル積もった日も毎朝3時に起きて、6時までママチャリで新聞を配っていました。1年間で3日ほど寝過ごしましたが、それ以外は皆勤賞でした。やめる時にそこの店長さんが「君は新聞配達を1年も続けたんだから、何でもできる」と言ってくれたのを思い出しました。ママチャリがあれば何とかなる気がしました。
毎日が改善の連続でした。現場監督には「松浦くん、不安全行動はやめなさい!」と言われ続け、電気屋さんに図面の事がよく分からないので「これ何の記号ですか?」と聞いてたら「何度言えば分かるんだ!初心者なのか?」とキレられ、LANケーブルを壁の開口から出したまま放置していたらボード屋さんに「遊びに来てるんじゃねえんだぞ!」と怒られながら、あくる日もあくる日もLANケーブルを引き続けました。高専出身の友達やシステム開発会社の知人にも手伝ってもらいました。石膏ボードにコンセントの穴を開ける方法が分からないので、とりあえず百均のカッターでギコギコしていたら電気屋さんに「アホだろおまえ。こうやって開けるんだよ!」と教えられました。LANケーブルを全部リールから出したらグルグルに絡まってしまい、電気屋さんに「こりゃ大変だなー」と笑われました。ぼくの周りに工事関係の知り合いはいないし、建築学科の人もみんな座学に詳しいだけです。仕方がないので、毎日帰ってからネットで調べたり、YouTubeの動画を見たりして勉強しました。
工事の途中、知人の知人が「サーバラックをくれる」というので、ニコニコレンタカーでハイエースをレンタルして、札幌ファクトリーにあるインフィニットループという会社さんに学生の友達と大挙して押しかけてサーバラックをもらいに行きました。サーバラックは2個もらったので、片方は工事現場へ、片方は持ち帰ってきてマンションのドアを外し、自分の部屋に無理やり入れてしまいました。工事現場に設置したサーバラックは、耐震のためにコンクリートアンカーというものを用いて床に固定します。ビルオーナーであるJR北海道さんが「現場の下が飲食店なので、深夜に工事をするように」と言っていたので、深夜4時、1人でYouTubeで手本動画を見ながら、Amazonで買った振動ドリルでコンクリートを斫っていました。なんだかんだ小言を言いながらも色々教えてくれる現場監督に「アンカーの埋設は床下45。45ミリまでだからね」と言われたので、言われた通り埋込み深さ35ミリのアンカーを用意しました。発注元の会社の担当者さんも気合いの入った人で、「発注したからには付き合います!」という事で、夜が更けるまで会議室の長机とイスで半分寝ながら立ち会ってくれました。
こうして、いつの間にか工事が終わり、季節は秋になりました。やっと引渡しです。引き渡してお客さんが入居した翌日に呼ばれました。「不具合が発生したから直せ」とのことでした。AndroidだけWi-Fiに繋がらない不具合でしたが、300個くらいある機能を一日中、全部オン⇔オフして試していたら、YAMAHAのアクセスポイントの「管理フレーム保護」という機能が原因だということが分かって何とか直りました。
一生懸命分析して、考え尽くし、「やるぞ」と決めたら理論など無駄というのがぼくの持論です。勢いで押し切る他にあまり良い方法も思いつかなかったので、無理やりねじ込んでゴリ押しして通信事業を立ち上げてしまいました。
4.官僚主義をぶっ壊せ
通信には強い思い入れがあります。私は中学生の時からゲームが大好きでした。実家のWi-Fiはよく途切れるのでゲームが出来なくなって多々困りました。大学の講義室で不真面目な動画を見ようとしたら構内網にフィルタがかかっていて見られず、先生が出席を取る授業では学生が多いのでまともにネットサーフィンも出来やしないという個人的不満がありました。そういう不自由な環境を突破するために色々試していたところ、情報系の教授が面白がって何でも教えてくれたのでぼくは大学に入って良かったと思いました(施設や総務畑の事務は頭の固い官僚集団で、すぐに人を呼びつけては説教し、何でも禁止してきます!)。
ぼくは公立小学校のように、何かを試してみようと創意工夫している人を邪魔する環境が大嫌いです。「やってみたい」「面白そう」「ワクワクする」こういう好奇心を潰そうとしたり、意味もなく自由を制限したりする人とは断固として戦います。
インターネットの世界では「ベストエフォート」という考え方があります。すなわち「繋がっても繋がらなくてもいい」という事なのだそうですが(通信大手S社のナントカAirの担当者が電話で言っていたので業界の共通認識と思われます)、そんないい加減な認識で事業を運営しているのは通信業界だけです。ギガビットの1回線を32人で割っているならば、「理論値では最小30 Mbps以上・最大1 Gbps以下。設備が壊れた時は止まります」と正直に書けばいいじゃないですか。我が国の通信業界は、駅逓や加入電話時代、高度成長期の古い考えを引きずっているんじゃないかなと思います。
夜中にインターネットが繋がらなくて電話を掛けてみたら「お電話ありがとうございます。当社の営業時間は平日午前8時~18時です。時間内にお掛け直しください。」と言われたことはありませんか。ぼくは何度もあります。夜は昼の2倍の時間があるわけで、お客さんは夜に昼の2倍困っているわけです。インターネットの不調が気になるのは平日より、むしろ家でゴロゴロしている休祝日とかなんじゃないでしょうか。36協定や労働法などの外形的な労働者保護の基準や、社会の常識は大事ですが、とりあえず緊急の電話には出てほしい人が多いんじゃないかと思います。同じ官営事業なのに、NEXCO東日本はちゃんと深夜3時に電話しても出てくれます。電話線だって48ボルトも流れてるので、夜中に切れて垂れ下がってたら危険じゃないですか。なのに夜中には絶対電話を取らない、開通工事はいつまでも待たせておけばいい、何ならインターネットなんか繋がらなくてもいいという業界の慣習(割り切り)は不思議だと思います。
電信電話・逓信というのは明治時代から国家の独占事業なので、大多数に合わせて廉価なサービスだけを目指すという方向は仕方ないと思うのです。でもぼくたち若者は年寄りの感覚で延々と待たされるのは困ってしまいますし、今の時代の若い人はもっとワクワクするビジョンを求めている気がします。同じ1日でもNTT東日本にとっては10秒の感覚くらいかもしれませんが、ぼくたちは10年くらい待たされている気分ですし、サービス内容もイマイチ夢がありません。ぼくが変わり者なのかと思っていましたが、売上が伸びているので、ぼくたちのお客さんも同じことを思っているらしいと考えて差し支えないと思います。申し込みの電話はすぐ取るのに、ネットが繋がらない時には絶対電話に出ない。ここはそういう業界です。晴れたら傘を差し、雨が降ったら取り上げる、強い奴がそうやって弱いものいじめをする業界は今のままでは息苦しいと思います。資本主義や官僚主義的な大企業文化は理屈としては分かるのですが、そこに優しさや思いやり、助け合いといった人間の心はないと思います。ぼくたちは少数派かもしれないですが、守りたいものを守れる力を持ってこそ、他者に優しい人たちのコミュニティに入りたいです。
通信業界には「開通工事に時間がかかって当たり前」という常識もあります。ぼくも長年それが当たり前だと思っていました。でも業界の構造を観察するうちに「それって事実と異なるんじゃないか?」と思うようになりました。ぼくたちが500円で出来る工事(LANケーブルを数メートル配線するだけです!)を、「施設管理権」を論拠にNTT東日本が20万円で無理矢理受注しているのを見たからです。でも現場の作業員に聞いたら、彼らの報酬は1万円にもなっていませんでした。確かに労使の立場の違いはありますが、それ以上に(特に官僚主導の)通信業界は伝統的に通信建設業界と強いつながりがあり、ここに凄まじい多層下請構造が出来ているという構造は指摘しなければなりません。ぼくもシステム業界に居た時は「業界内で人手が足りないからフリーランス的に会社同士で人を融通する仕組みが必要」という説明を見て「なるほどー」と思っていましたが、実態は逆かもしれません。1次や2次はまだしも、いくら何でも4次や5次請けまで下請会社を作るのは情報通信・建設業界のおかしな文化です。
理屈の上では開通工事のすべてを自分でやればインターネットは直ちに開通します。よって、自前でインターネットをしてみる事にしました。調べてみると、総務省の所管する電気通信事業法という法律がある事が分かります(色々と不思議な法律ではあるのですが、この話はまた別の機会)。自前でインターネット網を構築するためには、自前で光ファイバを敷設する(または他社から借りる)必要があります。そのために、北海道の総合通信局(総務省の手下のところ)に資格を取る申請に行きました。そしたら、長い長いヒアリングが始まりました。
・どうして電気通信事業の届出をするんですか?
インターネットをやりたいからです!
・家にインターネットを引きたいならネットで申し込めばいいじゃないですか。
ぼくは自分でインターネットをやりたいんです!
・そのケースは珍しいので、申請には時間がかかります。
前例が無いから大変なのはいいんですけど、申請に10年とか必要なんですか?
・何年かかるかは分かりませんが時間がかかります。
他社も10年くらいかけているんですか?・・・
こんな調子です。そのうち様式をきっちり揃えて持って行って10回以上も指摘箇所を直したのに「まだ確認する事がある」「図が分かりづらい」などと役人が抜かしてくるので、「AS番号を取ってインターネットを自分でやるだけの簡単な話じゃないか。何が難しいのか。役人の高尚な考えは全く理解できない。もう1年も経ったのに届出すら受理できないのか!」と、とうとうこちらも堪忍袋の緒が切れてしまいました。それで「これ以上不作為を続けるなら、行政手続法に則ってしかるべき手続をするぞ!我々の申請を受理されたい!」と毎日朝と夜に役所に電話をし続けたら、なんとそれから1週間で届出が受理されました。「これまでの1年間は何だったんだ」と思いました。
その後は公道を占有するために必要な資格を取りました。実際には総務省の、霞ヶ関の本省がほとんど全て決めているらしいのですが、窓口は北海道の通信局でした。「北海道地区では文献が残る範囲では前例がない。ちょっと待ってほしい。」などと言われましたが、ぼくたちは「やると決めたら何が何でも必ずやる」という事でかえって結束してしまいました。待ちません。霞ヶ関に毎日電話して法律を確認し、総務省のホームページを隅から隅まで読んで、ネット上の情報を片っ端からチェックし、電気通信事業以外に関連する法律も全部調べ上げ、とにかく様式を全部記入して提出してしまいました。それから不作為(嫌がらせ)をしないで手続を進めてもらうように、役所に毎日欠かさずに電話をかけて進捗を聞いてみる事にしました。「標準処理期間を教えて欲しい。申請受理にはあと何年かかるのか。1年なのか10年なのか100年なのか、それだけでもはっきりされたい。100年も待っていたらみんな死んでしまうじゃないか!」そうして雨の日も晴れの日も1ヶ月くらい、毎日欠かさずに進捗を聞いていたら、とうとう通信局の担当者が根負けして「今のペースだと1年くらいかかる見込みです」と処理期間の見込を教えてくれました。また、通信品質がどうこうとも言われたので、「いやいや競合他社のping値はこんなもんです。ここにデータがあります!実際のダウンタイムってこれくらいじゃないですか。具体的な根拠は○○で、△△の資料を見たらこうですよね。だから一緒に(本省の)霞ヶ関のルールを見直すよう説得してください」という事で役人さんをやり込めて法解釈まで変えてしまいました。そうこうして1年くらい放置して待っていたら認定電気通信事業者になりました。北海道地区では過去40年くらい前例が無かったらしいです。
後日談ですが、その時の通信局の担当者さんは、異動のときにわざわざ電話でご挨拶してくれました。後から聞いた話ですが「あの日本先進通信株式会社がついに認定まで取りましたか」と、異動後も気にかけて頂いていたようでした。色んな役人さんを見てきましたが、1円の利益にもならないのに、ご異動の時にわざわざ挨拶をしてくれる役人さんは後にも先にも居なかったですから、ぼくたちは人に恵まれた面もあったのかもしれません(または、相当印象に残ったのかもしれません)。
そんな事をしていたら「あいつのやっている事は面白いじゃないか!」という事でいつの間にか学生集団が2人になって5人に増えて10人になって、気付いたらそれなりの企業との取引実績もだいぶ増えていました。「アホだけど、キミ面白いから応援してあげよう」みたいな感じで仕事をくれる人ともたくさん巡り合いました。そして、やっと会社らしきものの形が見えてきました。ここまで3年くらいかかりました。
5.インフラにスピードを、仕事に面白さを。
ぼくたちは変わり者かもしれません。「何かに挑むために創意工夫している人を応援しよう」という哲学、絶対に無理だと確定しない限りは解決策を全部試し(総当たりは数学だと嫌われますが)、理屈が通じる限りは法解釈を変えてでも、ゴリ押してでも解決策を実行し切る実行力、そして気になった事はどこまでも追求する探究心と好奇心があります。めちゃくちゃ調べるし、すごく考えるけど、はっきり言って賢いやり方ではないし、要領のいい方法でもないです。ゴリ押しするけど、相手にも合わせます(逆に、嫌がらせをしてくる人は当然自分も嫌がらせをされる覚悟があるのです!)。お客さんに合わせて柔軟に、労働法に手足を縛られた企業を横目に24時間安定稼働を目指し(法律遵守には努めています)、目的を達するために下請け会社をあえて作らず、多重の下請け仕事を請けません。
私たちには石をも穿つがごとき信念があります。それは困ったこと、イヤなことを技術・言葉・数字の力と気合いで変え、お客様のビジネスにスピードと便利さをもたらし、私たちの生活、そして我が国を豊かにして、面白い挑戦をしようということです。
最近、「ビジョンとかあるんですか?」と言われたので、信念を貫き通した先には科学技術の力で、23世紀をつくる未来があるんだという話をしました。私たちには少数派であるからこそ出来ることがあると思うのです。私たちは大手企業では批判されてしまうような大きな夢を描いて発表することができます(ライバル会社が「ドラえもんの世界を創るんだ!」なんて計画を発表したら大顰蹙間違いなし!)。私たちは官僚機構には実現出来ないおもしろプロジェクトを実行できます(なんせ社長が「モーターを1秒に50回回したら電気出来るだろ」とか言って本当にやってしまった会社です)。「あの会社、何やってるかよく分からないんだよね」とよく言われますが、それは何でも挑戦できるという事の裏返しですから、大学発の会社らしいし、大いに自由で結構だと思うのです。
技術者・若者にはワクワクする夢が必要です。今の時代にはワクワクする夢を描ける人が足りません。「年寄りが生きていくには金が必要、若者が生きていくには夢が必要」という格言は比重の濃淡こそあれ、当にその通りだと思います。今の社会は前者ばかりを過剰に重視して、後者の面白さやワクワクを軽視していないでしょうか。失敗を全く許容しない官僚人間が増え、好奇心を際限なく抑圧する息苦しい世の中になっていないでしょうか。減点や失敗を次の成功への糧とする「手段」ではなく、処分や罰こそが主たる目的と勘違いした、つまらない官僚主義の社会になっていないでしょうか。電気や電気通信、情報分野をはじめ、面白さやワクワクできる夢を探している人、止まらない好奇心を持った人に、まさに私たちのチームが打って付けかもしれません(「土地を収用して局舎を立てて、自分で電柱を建てて光回線も引っ張って800G通信するんだ!」にワクワクする人や、器用な人はまさにこのチームに向いています!)。
私は世界地理が苦手です。私たちは大企業に比べたらコネもカネもありません。社会からの期待度も低いかもしれません。しかし、私たちには夢と未来を描く力があります。「キミ面白いね」で、何とかここまで可愛がってもらってやって来られました。「なんかアホだけど、面白いから応援してあげよう」という事で今後も応援頂ければ幸いです。
日本先進通信株式会社
代表取締役 松浦求磨


